文と鳥と

文鳥を飼い続けて半世紀。あんなコトこんなコトありました。

⌲最後に鳥が勝つ...?(その1)

もし文鳥たちが人語を解するのなら、守らせたい最小限のルールがある。

 

餌入れにフンをしない、とか。

飲み水入れで水浴びをしない、とか。

止まり木や鳥カゴの網にフンをかけない、とか。

 

これだけ守ってくれれば、ずいぶんと世話も楽になるのだが、鳥は言葉が分からないから、当然のように小言を言っている最中でも構わず違反行為をする。

 

すなわち、食事の中にフンをするという非人道的所行で食料を無駄にし、小さな水飲み容器に頭を出し入れするのでカゴの床に水害を起こし、どうやって飛ばすのか思いがけない箇所を汚してこちらの手間を増やすのである。

 

あとは液晶画面やキーボードにフンをすること。

毎回、今やったら首を絞めるぞと血生臭い宣言をするが、粗相した時は待ったなしの惨状で飼い主は除去に追われ、本鳥どもは逃走して涼しい顔で処置を待つ。

そして少し首をかしげて見下ろしている…まるで下僕が掃除するのを眺めるように。

 

だから2羽の首はずっと安泰で、クレームは右から左へ聞き流して青菜をもらい米粒をもらい、水っぽいフンを垂れ流して一切の後悔もなく、朝、カゴの覆いを取った直後からまた寝て暮らす。

 

──生まれ変わったら、文鳥になろうかな。


と母に言ったことがある。

 

──いいわよ、頭を押さえつけたり、シッポでぶら下げたりしてあげるから。

 

たしかに。そのような蛮行も享受せねばなるまい。
それでも文鳥たちは言わず語らずに、人間を操作しているように思えてならない。

 

靴下を裏返して脱いだどうだ、の些細なことで同居人と喧嘩が始まる、とはよくある話だが、文鳥どもにそんな文句を言っても始まらぬので、ひたすら彼らの行動を見る。

 

ここに置いたらフンが落ちるとか、この角度ならクチバシも入るまいとか。

 

そのたびにえさ箱の配置を変え、止まり木を付け直し、なぜここまで面倒を見なければならないのか、腹が立つこともあるが、結局は自分がラクになる道だからと信じて、鳥カゴの前で日がな眺め過ごす。

 

だから人間同士の場合でも、言っても直らないものは直らないのであり、相手が文鳥だと思ってじっくり観察して誘因行動を探れば、大小に係わらず喧嘩が回避できる、と真理を得た。

 

文鳥の目は穏やかでいつも笑っているように見えるから、きっと毎日に満足しているに違いない。文句を言わず意のままに人間を動かして、時に哲学的に思考させる。ちょっと恐れ入っている。

 

⌲ボロボロ鳥

家に帰ったら、2羽いるはずの文鳥が1羽しかいない。

 

このところ文鳥どもとは疎遠。掃除以外は構ってもやらない。鳥のほうも手乗りであることを忘れ、飼い主を忘れ、人が出かけようが帰宅しようが、チッとも鳴かない無関心さである。

 

呼んでも返事をせぬのは毎度のことだが、ブランコには1羽、桜文鳥の黒い頭が見えるのみ。その1羽も居眠っていて、鳥カゴの中は森閑として何も動かない。椅子にへたり込んだまま午後の光線でセピア色に染まったカゴの中を見ていると、空き家に帰ってきた人のように淋しくなった。

 

 ──共食いしたか。

と飼い主は思う。

 

確かに餌を食べるのも水浴びするのも桜オスが先、菜っ葉に近づく白メスを追い払って威張るオスだけれども、いざとなったら絶対的にメスのほうが強い。

オスがは”張り子の虎”で威嚇するとメスはその場を「退く」だけだが、メスがたまに刃向かうと、中身のないオスは止まり木を踏み外す醜態を演じ「逃げる」のである。だから共食いして残るとしたら白メスのほうだという確信がある。

 

痛む足で立ち上がって、わざわざカゴのところまで見に行ったら、何のことはない、下の止まり木の隅にもう1羽がうずくまっていた。白文鳥が鳥カゴの後ろの白いカーテンを保護色に、頭を羽に突っ込んで寝ている。クチバシも見えないからまるで白いボールのようだ。

 

 ──それにしても。

と飼い主は思う。

 

人が呼んでも近づいても、顔も見せずに眠っているとは何たる無礼。

腹が立ったので乱暴に鳥カゴを揺すったら、2羽とも直下型地震に襲われたように首を伸ばし羽を引き締めてこちらを見た。

 

思わず手を離す。

 

白メスのクチバシの付け根がグルリと禿げている。目の周囲も5円禿げであらわな肌に黒目だけ残っている。

メスはいつものように270度首を曲げてこちらを見上げたが、怪談のお岩さんもどきのご面相でシナをつくられてもこちらは引く。

 

一方、桜オスも惰眠から覚めてようやくチヨチヨと鳴きシッポを振るう。そのシッポはトゲトゲの黒羽が数枚よれて残っているのみ、白い下羽が存分にはみ出して、まるで行儀の悪い少年連がズボンから下着を出させている様相である。

 

 ──どいつもこいつも…

 

それから1ヶ月。

 

桜オスの頭は通常だが、シッポはばらけたままである。白メスのシッポは普通だが、頭はまだハゲハゲだ。そして2羽の胴体には換羽の兆しもない。

 

新しい羽への生え変わりを一カ所のみで済ませ、手抜きしているとしか思えない。

 

本鳥曰く「反対側は見せられないの…」

 

⌲ヒトの骨、トリの骨

桜狂いの飼い主は、春になるとすべてを放り投げて花を見て歩く…のだが今年は少し様子が違って、歩くのが妙に怖かった。

 

冬のあいだ籠もりきりなので、いつも最初の数日は歩みがぎこちないが、今回はまるで退院したばかりの人のような浮遊感があって、幾日経っても地面が遠い。ヒトは本来2本足で立って歩くものではないのだ…という気までして進化の歴史を恨めしかった。

 

それでも花見を強行するのが桜好きの所以だが、花を見上げながら足元も確かめるのでいつもの半分も見た気がしなかった。

こんなにも急に衰えたのかとジタバタしていると、高齢者は出かける際に玄関で30秒足踏みすると良い、という記事に当たった。地面が平らで安全だということを脳に再認させるのだという。体力だ筋力だという情報のなかで、これが一番面白かった。

 

そこで足踏みを繰り返したのだが、効果は今ひとつ。

数年前からきつめの骨粗鬆症に罹っていて、医者からしつこく「転ぶな」と言われている。脳が地面を平らだと安心しても、踏み出すたびに医者の呪文が”待った”をかけるのかもしれない。筋力の衰えもあるが、脳の中でアクセルとブレーキが同時に発動して歩みを狂わせている気がする。

 

年を取ると言うことはダンダンと衰えることだと思っていたが、どうやら本当に段があるらしく、今年はこれまでの違和感が集まってカクンと下がったらしい。

 

ところで鳥類は飛ぶために骨まで軽くしているという。

種属的に骨粗鬆症なのかと思ったが、ハテナ?、我が家の文鳥どもはよくドスンドスンと止まり木から落ちている。身長の3倍くらいの高さから日常的に落下していても骨折の様子はない。

 

調べてみると、確かに内部はスカスカだが、骨の各側面が「トラス構造」という頑丈な造りで出来ているのだという。だから強い逆風を受けても着地の衝撃にも耐えられるらしい。なるほど骨がもろくては飛行機もつぶれてしまう。

 

”同病相憐れむ”の親近感が消えて、置いてきぼりを食らった感じがした。

どうも高体温(⌲困った夏  )といい強固な骨といい、鳥のほうが生きることへ進化しているように思えてならない。

 

哀れなヒト類の飼い主は、30分の足踏みを日課とし、骨と筋力と平衡感を鍛えてサルからの脱出を試みている…

 

 

 

 

⌲白菜の芯

子供のころ、冬になると母はよく白菜を漬けた。

 

北側のコンクリートの上で勢いよく水を出しながら葉を洗う母に、幼い飼い主は聞く。

──水が冷たくない?

「大丈夫だよ、寒くないよ」と答えて欲しいのである。それだけで手伝った気持ちになる。

 

中ぶりの樽にシュッシュッと、白菜の葉と塩を交互に重ねてゆき、最後の一枚を芸術的に下の葉にくぐらせて終わると、母は腰を伸ばしながらようやくこちらを見て微笑み

──お正月には美味しくなるよ

と言う。だが子供には漬け物などどうでもいい。母の作業が終わったことが嬉しい。

 

漬け物を食べるのはもっぱら父であった。食卓に出るとガバチョと箸でつかんで一口で食べてしまう。中肉中背というより小柄なほうだが、7人兄弟の末っ子のせいか、食べるときはいつも大口であった。飯茶碗のご飯など4、5口で終わってしまう。子供心に感心して心配して、箸の動きを追い、食べ物が口の中から喉に落ちるのを何度も見守っていた覚えがある。

 

あるとき、父が例によって鉢の中の白菜の3分の1をひと掬いで口に運ぼうとするのを見て、母がたまりかねたように言った。

──そんなにいっぺんに食べないで。

父は動きを止めてぽかんとした。

──葉っぱばかり食べないで。みんなだって葉のところ食べたいんだから。

確かに残りは芯ばかり。父はゴニョゴニョと「芯が好きなんじゃないのか」と言った。

──だって、それしかないから。

 

我が家の桜文鳥のオス、葉っぱが大好きで、入れてやると緑の部分を食い尽くす。白文鳥のメスは芯だけになったころにやっと引き継いで残りを食べる。時々気の毒になって桜オスを追い出して、まるまる葉っぱを与えるが、葉は食べずに芯からつまみ始める。

 

──だって、それしかないから。スキニナッタノヨ。

 

桜オスは父より上手なのか、白文のメスは母より従順なのか。

いやいや、父の食べ方に母が注文したのはあのとき限り。大口をやめさせたい気持ちがあったのではないかと今思う。父の呆気にとられた顔が可笑しく、文鳥どもを見ながら母の言葉がリフレインする。

 

2月も終わりになると、白菜の漬け物は酸っぱくなって食卓に残るようになる。すると母は油で炒めて醤油を垂らし、子供たちの昼のおかずにした。

なぜだかその油炒めの白菜ばかり、懐かしくてもう一度食べたくなる。

母の贈り物

今週のお題「スープ」

 

亡くなった母は、私のスープが好きだった。

 

90歳過ぎで生まれて初めて入院したとき──ちょうどコロナの時期で面会が出来なかったのだが──診察室前の廊下で別れたきり、一切の連絡が取れなくなって非常に気を揉んだ。こちらからメールやメッセージはもちろん、ほぼ毎日、手紙を書いてナースステーションに預けるのだが、なぜか一向に返信がない。「お元気ですよ」と教えてくれるのだが、私が買い物で留守にした数時間すら何回も連絡してきた母が、何日経っても何も言ってこない。

 

「かくしゃく」としていた母が、いきなり隔離されて呆けたのだ。半信半疑から始まって1週間、10日と過ぎる頃、次第にそう確信しはじめた。

2週間になる頃、看護師が「お母様から」と言ってようやく手紙が返ってきた。封筒は母の荷物に入れておいたものだったが、中身は小さなメモ用紙一枚で、弱々しい文字で「あなたのスープが食べたい」とだけ書いてあった。

 

ハア?である。

家のこと庭のこと、話をするように長々と毎日手紙に書き、もう伝わらないかもしれないと思いつつ、せっせと病院に持って行ったのに、何の前置きもなくスープが食べたいとのみ言う。呆けていないようだが、呆けているのかもしれない。

 

確信は半信半疑まで戻ったが、家に帰ってくるまで疑いを持たざるを得なかった。

 

このときは結局3週間で退院できたのだが、弱りながらも以前と変わらぬはっきりした母であった。

説明を聞くと、入院したと同時に携帯が不調となり充電出来なくなったというのである。充電器の要請を受け何台も差し入れしていたが、ことごとく壊れたのだと言う。だから点滴の管が何本もつながっている腕で仰向けのまま、なんとかメモ帳に書いたのだと言う。

 

「だって食べたかったのよ」

循環器病棟だから尚更の薄味で、記憶の中のスープがより美味しくなったようだ。以後、家でも薄味に気をつけすぎて文句を言われることもあったが、テキトーがモットーの私のスープを95歳で逝くまで喜んでくれたのだった。

具だくさんの野菜スープ、コンソメ、トマト、ミルク味。頻度は減ったが、今でも苦にせずスープが作れるのは、手紙にまで書いてくれた母の贈り物である。

 

⌲年末年始の「災」と「幸」

年末、ガラス戸を開けようとして滑り、したたか尻餅をついた。年が明けて、ようよう痛みが治まりつつある頃、よろけながら椅子に上向きに着地し同じ所を打った。普段ならなんでもないが痛めていた箇所に直撃で、文字通り悶絶した。

 

文鳥どもは同情しない。奇声に怯えてカゴの隅からクチバシを出してこちらを見たが、以後、「かに歩き」をする飼い主を怪訝な顔で眺めていただけだった。

 

こういうとき鳥は便利で、日に一度、餌と水と掃除さえやればそれ以上求めない。おかげで年末年始は──三が日の酩酊している期間を含めて──文鳥たちとはすっかり疎遠になった。

 

鳥たちも外への興味を失っていつもより静かである、のはいいのだが、あまりに鳴かないのでついにある日、水を替えるのを忘れた。翌日の深夜、不意に気づいて見に行くと、水入れには5ミリほどしか残っていない。本鳥たちは生命の危機も知らず惰眠をむさぼっている。

 

夏目漱石に「文鳥」という小品がある。今の朝ドラのラフカディオ・ハーンにも「草ひばり」という文章があって、ともに、文鳥あるいはコオロギの声と姿を賞賛し見事な文章で描写したあげく、餌を枯らして飢え死にさせるという内容である。この二人には、東京大学の英文学講師を前後で勤めたという妙な因縁があるのだが、最後に女中の怠慢を叱責する場面まで酷似する。

 

才も女中もない飼い主は、あやうく両作家の残酷部分だけを見習うところだったから、急に反省して1月中旬からは頻繁に遊んでやった。文鳥どもは人間が一番いいらしく、懐の争奪戦をして勝った方が尾を振る。これ見よがしにこちらの痛みの種の「尾てい骨」を盛んに使う。

 

最初の尻餅のとき、翌日が整形外科の通院日だったので「尾てい骨を打って痛い」と訴えた。背骨の専門医は常になく冷淡で「レントゲン撮りますか」と物憂げだった。聞いてみると状態を確認するだけ何もしない、「要らない骨ですから」と付け加えた。

 

無駄なことは断って、医師の言うとおり待つことにした。だから痛みが続く間は絶えず骨を意識して、有用に尻尾(尾羽)を動かしている鳥に羨望すら覚えた。今後、尾を引っ張ることはしないとも誓った。 ⌲しっぽ 

 

重たいガラス戸は兄が気遣って直してくれたから、数年来の憂鬱が消えて「幸」。文鳥の方も飼い主が丁寧になって「幸」を手に入れたことになる。

 

だが。

人間は忘れ、鳥は覚えない。

 

医師の予告通り、1ヶ月経った今、痛みは治まり、尻尾の誓いは消えつつある。

⌲ショウガ、あるんだってば。

サツマイモやら里芋やらをたくさん送って貰ったから、正月の芋用意は完璧だとホクホクしていたら、送り主から「生姜を拭いておくように」というアドバイスが来た。

 

ハテナ、拭くとは?

 

なるほど、箱の片側に手の平よりずいぶん大きい生姜の塊がビニール袋に入っている。芋とは違う扱いが必要そうだから少しネットで勉強してみたら、常温15度で保存しろという冬には無理な注文が出てきた。

 

迷ったら送り主に聞くのが一番だと折り返しで尋ねたところ、茎が湿っているだろうから拭いて新聞紙に包んで冷蔵庫の上に置いておくとよい、というありがたい返信が来た。

ビニールを開けてみると、一晩玄関の床で凍えかけたと見えてジトリと汗をかいている。生姜のくせに風邪を引いたか。拭いて新聞紙を着せて、さて置き場所に困った。

 

冷蔵庫の上が暖かくてよいそうだが、ふだん見ない場所だからたぶん忘れる。先の文鳥たちはカーテンの上とか食器棚や冷蔵庫の上にとまったので視線が向いたんだがなと、置き場所を失ったのを鳥のせいに思った。

 

現世代の2羽はヒナの頃から’飛び上がる’という行動をしない。いつも人の背丈ほどの高さで旋回している。驚いて飛び立ち、窓枠にしがみついて放心しているのを救助した覚えもある。羽を持ちながらイカロスの冒険心は皆無のヘタレである。

 

家は建てた季節によって夏向き冬向きが決まるのだと親が言っていたが、初夏に完成した我が家は夏仕様で冬はどの部屋も寒い。暖房はつけても一晩中とはいかない。

 

常に15度くらいのところと見回していると、あった。鳥カゴである。

 

ヘタレ軟弱な文鳥どもはセントラルヒーティングの特別室にいる。一瞬、鳥を出して生姜をカゴの中にぶら下げる意味不明な連想をしたが、さすがに本末転倒だから、生姜を鳥カゴの上に置くことにした。夜はすっぽり布をかけるから、常に14~5度は保てるはずだ。

 

が、しかし。

 

次の自由時間にカゴを出て飛び回った2羽、いつものように窓際の鳥カゴの上の休憩地に戻ってきて、新聞紙に包まれた生姜の小山に驚愕した。白文鳥のメスは何とかよけて脇に停まったが、桜オスは鳥カゴの上を通過して…消えた。

 

カーテンにぶつかって落下した模様である。そのまま静かなので見に行くと、床から15センチの高さでカーテンにしがみつき茫然自失。15秒眺めて、やっぱり助けることにした。鳥ならば地形を俯瞰して飛行すべきであろう。しょうがない奴だ。

 

──いや、ここに、ショウガ、あるんだってば。